■岡本太郎(1911-1996)
東京生まれ。東京美術学校に入学するがすぐに中退。1930年から1940年までパリに住み、21歳のときにピカソの『水差しと果物鉢』に感銘を受け、絶大な影響を受ける。アブストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造協会)といった前衛運動に参加、アンドレ・ブルトン、モンドリアン、カンディンスキーらと交流。パリ大学で哲学、社会学、民俗学を専攻、ジョルジュ・バタイユ、マルセル・モースらと親交を深める。戦中は、現役初年兵として中国戦線へ赴いている。第二次世界大戦後は、一時二科会員。戦後日本現代美術の旗手として次々と話題作を発表し、1970年の大阪万博テーマ館「太陽の塔」は国際的な話題となった。また、それまで考古学的な研究対象としかされていなかった縄文土器の「美」の発見者としての功績は大きい。写真家としての活動も近年注目を集めている。文筆活動も旺盛、伝統主義とモダニズム批判を同時に行う独自の文明批評を展開した。1996年(平成8年)1月7日、パーキンソン病による急性呼吸不全のため死去。
URL●
http://www.taromuseum.jp/a.htm