
まず、
グレン・ミラー(1904年~44年)を紹介しましょう。映画『グレン・ミラー物語』では、ジェームス・スチュワートが
グレン・ミラーを演じ、あの飄々とした演技がなんともいえない雰囲気をかもし出していました。そして、劇中流れるグレン・ミラーのメロディーが、日本人の感性にマッチして大ヒットしました。私が演奏をしているステージでもグレン・ミラーの曲を演奏すると、今でも目頭を押さえるファンの方もいるくらいです。
グレン・ミラーは、ニューヨークのシリンガー教授に編曲を学んだ後、自分のバンドを結成し「ムーンライト・セレナーデ」「リトル・ブラウン・ジャグ」「真珠の首飾り」「セントルイス・ブルース・マーチ」など数々のヒット曲を生み出しました。グレン・ミラーのアレンジは、“キラー・ディラー・サウンド”といわれる編成によって、あの独特で甘美な演奏を生み出しているのです。
そして、人気絶頂の1941年、空軍に入隊し“エアー・ホース・バンド”を結成し、前線の将兵慰問に尽くしました。1944年12月、パリでの演奏のためロンドンを発ちましたが、そのまま行方不明になってしまいました。現在でも機体が見つかっていないため、様々な真偽不明の噂が飛び交っています。
この
グレン・ミラーの死は、ミラーひとりが亡くなったというだけでなく、禁酒法時代から続いたスウィング時代のひとつの終焉を意味しています。亡くなってからほぼ60年経ちますが、依然根強い驚異的な人気を保っているのは、それだけ素晴らしいサウンドを生み出した
グレン・ミラーの功績ともいえるでしょう。
グレン・ミラーときたら、今度は当然
ベニー・グッドマン(1909年~86年) ですね。
ベニー・グッドマンは、多くのジャズ・ミュージシャンの中で、私がもっとも敬愛する人です。“キング・オブ・スウィング”とも称され、スウィング・ジャズの世界で偉大な足跡を残した巨人でもあります。映画『ベニー・グッドマン物語』で知られるように、子供の頃からクラシックに親しみ、将来を嘱望されましたが、ジャズへの道に転身して、1934年(24歳)の時に自分のバンドを結成しました。