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- Vol.11 村田・大河原・白石(宮城県)
村田・大河原・白石(宮城県柴田郡村田町/大河原町/白石市)蔵王連峰の東麓に残る蔵の町と仙台藩の南を守る城下町
蔵王連峰の東麓に残る蔵の町と仙台藩の南を守る城下町
宮城県南部、西に連なる蔵王連峰鵜に抱かれるように柴田郡村田町があります。「村田」と言われてもピンとこないでしょうが、東北自動車道と山形自動車道が連結する「村田ジャンクション」や「村田インター」の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか?
今回は、宮城県で最も伝統的な商家の町並みが残る町・村田町と、その起点となる大河原町、そして県南の交通の要衝、白石蔵王駅や白石温麺でも知られる城下町・白石の町並みを訪ねます。
紅花で繁栄した村田商人の土蔵が連なる村田町(柴田郡村田町)
村田町の中心部は東北本線の大河原駅から自動車で20分ほど北上したところ、自動車なら東北自動車道・村田ICを降りて5分もかからないところにあります。
この地では、中世から村田館が支配にあたっていました。江戸時代の初めは仙台藩直轄地でしたが、初代仙台藩主・伊達政宗の七男・宗高より始まった村田館主は複雑な変遷を経て、貞享元年(1684)より芝田氏が八代、幕末の慶応元年まで200年つづきました。
藩政時代の村田は城下町で、奥州街道と羽州街道を結ぶ街道沿いに町場が形成され、宿場町として発展していきました。さらに最上地方にならってこの地方でも紅花が栽培され、その紅花や藍玉の集散地として、その干花は笹谷街道で奥羽山脈を越え、最上川舟運経由、西廻り航路で大坂や京に運ばれました。また奥州街道や阿武隈川で江戸まで送られたものもあり、その取引を行なった村田商人は富を成し、町は発展しました。
しかし、明治以降になると東北本線、国道4号線などの主要交通路から外れ、主要産業構造の変化によって完全に忘れ去られた町となりました。その結果、旧街道沿いに土蔵や豪勢な門構えの商家の建物が両側に建ち並んだ、昔からの町並みが残ることになりました。
南北の筋に並ぶ家屋はほとんどが「店蔵」と呼ばれるもので、土蔵造りの店舗の構えです。店蔵はほとんど切り妻造りの平入りで、すべて二階建て、通りに面して屋根庇をつけ、外壁下部を海鼠(なまこ)壁にしています。二階正面には観音扉の窓を設けています。一階部分を改装して、荒物屋や化粧品店などの店舗としてそのまま利用としている家も見受けられますが、多くは昔のままの姿を残していて、見ごたえのある町並みを形成しています。
三叉路の位置にある「大沼酒造」は江戸中期の正徳二年(1712)創業というので、すでに300年以上の歴史のある店です。間口はこの界隈の商家の中で最も広く、凝った彫刻を施した屋根付きの木製看板が印象的です。
また、この辻の南側には、店蔵の連続した迫力を感じるほどの町並景観が展開しています。赤褐色の屋根瓦や細部までこだわった造りが目立ち、見た目に派手な印象を受けます。控えめな外観の西日本の土蔵造りとは、さまざまな面で激しい対比として感じられます。
町並みの規模としてはそれほど大きなものではなく、会津の蔵の町・喜多方のほうが数は多いですが、村田の良いところはほとんどの土蔵に人が住んでいること、そして本町・荒町の最上街道沿いの一本の道に蔵が集中していることです。上質で一軒一軒の細かな意匠を注視しながら歩くほど味わい深い町です。
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ヤマニの店蔵 -
村田町の町並み -
大沼酒造 -
蔵の資料館 -
蔵の資料館内部 -
重厚な門構えが残る旧家 -
一部を喫茶店にしている店蔵 -
赤褐色の瓦が美しいカクショウの店蔵 -
内蔵が続く旧家 -
武家屋敷・田山家
町の発展と町並を考える
村田の町を歩くと、「町の発展とは何なのか?」と改めて考えさせられます。明治維新から150年、大震災や戦災、町ごとの大火を乗越えて残って(残して)きた古き良き伝統的町並みが、高度成長期や列島改造そしてバブルの荒波の中で、全国的にいとも簡単に打ち捨てられてきました。その結果、全国どこも似たような駅前の景色や町並みだらけの状態になっています。
もちろん、住んでいる人々の利便性とのバランスの上に成り立っていないといけないので、この問題はとても難儀なものになります。何年かに一度か二度訪問して感心するような観光客が語る問題ではないのですが、それでも<古き良き建物を文化財として保存しながら上手に補修しながら使っていく姿勢が、村田の町には感じられます。
これまでに紹介してきた町並みと同じように、幹線鉄道や道路から外れたがゆえに発展から取り残されて伝統的町並みが残った村田。紅玉や藍玉の活況が去っても何とか生業を立てて生き残ってきた町は、少子高齢化の現実は他の多くの地方都市と共通の課題でしょうが、特徴のない町に住む人に比べたら誇れるもののあることが幸せなのかもしれません。
自治体と住民の意思が一つになって、ようやく平成25年9月に「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)」の指定を受けたことは、とても貴重なことで、個人的にも嬉しく思っているところです。
土蔵造りの商家の町並が残る大河原町(柴田郡大河原町)
村田への鉄道での玄関口・大河原町は、あまり馴染みがない地名かもしれませんが、残雪の蔵王連峰を背景にした白石川の「一目千本桜」の画像は目にしたことがあるでしょう。
この大河原は奥州街道沿いの宿場町大河原宿で、仙台から名取宿を経て距離も近く、大勢の旅人たちの宿泊や休み処として栄えました。
また村田経由で運ばれた紅花の集積所としても栄え、村田と同じように多くの豪商たちを生みました。紅花のほかに煙草の村上屋、生糸の須藤屋などの問屋も栄え、奥州街道沿いの宿場としては柴田郡内では最も栄えた町でもありました。大震災でかなりの被害を受けたと聞きますが、今でも修復された海鼠(なまこ)壁がとても美しい江戸時代末期の店蔵がいくつか残っていて、村田の往き帰りに訪ねたい町です。
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一目千本桜の看板 -
一目千本桜 -
白石川 -
海鼠壁の店蔵
城がありながら城下町でなく宿場町・在郷町だった白石(白石市)
稲庭うどんほどではないものの、「白石温麺(温麺)」の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。「白石三白」といって「温麺と和紙と葛」が昔からの名物の町、それが白石(しろいし)です。今は東北新幹線の白石蔵王駅で有名ですが、大河原駅から南へ三駅、伊達藩の仙台藩南辺の防衛拠点「要害」として重要な役割を果たしてきた町です。
白石は関ヶ原以前には幾多の紆余曲折がありましたが、戦後再び伊達領となり、伊達家随一の名参謀と呼ばれた片倉小十郎が入り、以降幕末までの260年間片倉氏の城下町として発展します。
また、白石城は伊達藩の要害のなかで唯一「城」として認められていました。
しかし、わずか一万八千石の小大名が最防衛拠点の重責を担ったため、家臣は貧窮し、内職によって生活を支えます。その内職である和紙造りが白石の名産品になりました。現在、西益岡町には片倉家中の茅葺きの武家屋敷が残っていますが、その素朴な造りは当時の白石武士の様子がうかがえます。
旧奥州街道と米沢街道が通る宿場町でもあった市内には、当時の面影を残す建物はほとんど残されていませんが、白石駅近くの中町にはいくつかの古民家が残っています。その中で一際目を引くのが豪商だった壽丸(すまる)屋敷。木造再建の白石城と共に村田町・大河原町と一緒に訪ねたい町です。
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茅葺きの武家屋敷 -
堀の残る西益岡町界隈 -
沢端町の酒蔵・蔵王酒造 -
白石城天守
アクセス
交通 |
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問い合わせ先 |
宮城県村田町
TEL:0224-83-2111
宮城県大河原町
TEL:0224-53-2111
宮城県白石市
TEL:0224-25-2111 |
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