懐かしい歴史の町並み探訪 Vol.15 古都京都(京都府京都市)懐かしい歴史の町並み探訪 Vol.15 古都京都(京都府京都市)

古都京都(京都府京都市)京都市内の歴史的景観を残す伝統の町並み

今回の町並み探訪は、「何を今さら」と思われるかもしれませんが、京都市内で国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されている4ヶ所の伝統的町並みを紹介します。

祇園北側の茶屋街として栄えた祇園新橋と、清水寺門前の産寧坂(さんねいざか、三年坂)・二年坂は、今や国内外の観光客で溢れ返る定番スポットです。しかし、季節や時間帯を選べば町並みフリークならずとも改めて魅入るような、石畳と町家がつくりだす古都の風情を満喫できる一級品の町並みです。

3つ目と4つ目に紹介する上賀茂社家町と嵯峨鳥居本は京都市郊外にあり、訪れていない方も意外に多いと思います。市内中心部とはまったく雰囲気の異なる町並みを散策するのも、京都訪問の楽しみです。

産寧坂・二年坂・石塀小路(京都市東山区清水・枡屋町・下河原町)
~東山山麓の坂道に並ぶ町家群と、石畳・石塀の小路の町並み~

清水寺への参道の清水坂と五条坂の交差地点から北への急な石段のある坂道を「産寧坂(三年坂)」、その先が「二年坂」です。1,200年以上前の大同三年(808年)に完成したことから、「三年坂」と名付けられました。「産寧坂」の字があてられたのは、かつてこの地にあった泰産寺の子安塔に通じる道であったといわれています。

二年坂(二寧坂)は大同二年(807年)に開かれたともいわれますが、坂名の由来は年次からではなく、三年坂(この項では、重伝建の指定名称の「産寧坂」を使います)に比べて勾配が緩やかであることから名付けられたそうです。

重伝建地区は、産寧坂から二年坂の両側地区、そして高台寺下の「ねねの道」の途中西側の路地を進んだ石塀小路地区が指定されています。1976年に産寧坂・二年坂が祇園新橋地区と一緒に制度最初の指定地に、後に1996年に石塀小路地区が追加指定されて含まれました。

産寧坂には京料理店や瓢箪屋、古道具屋や小物の土産物店など小規模の店が続き、風情豊かな石畳に古都らしい店が賑やかにさり気なく並んでいます。その中に重厚な門を構えた邸宅なども見いだすことができます。土産物屋が軒を連ねていますが、これらの多くは歴史的建造物です。階段の途中にある「清水三年坂美術館」は、幕末から明治に造られた漆工・金工・陶磁器・七宝・木牙彫などの工芸品を収蔵展示する私立美術館で、ぜひ訪ねてもらいたい穴場です。

この辺りの家々は幕末から明治期にかけての中二階、虫籠窓の町屋が多く、その中に混じって明治以降の本二階の町屋を見受けられます。産寧坂下の階段近くには、中二階に塗り込めの虫籠窓を設えた町家が多く並びます。昼間、産寧坂は京都見物の観光客でごった返す観光地的なイメージがありますが、その色を極力押える努力が強く感じられます。

  • 産寧坂階段の入口
  • 産寧坂の町並み①
  • 産寧坂の町並み②
  • 塗り込めの虫籠窓を設えた町家
  • 八坂の塔を望む八坂道

石畳道を進んで右に直角に折れると二年坂に入ります。この辺りの建物は大正初期に建てられた比較的新しいものの、石段の途中から坂を見下ろすと小規模な茶店などが軒を並べ、絵になる京都ならではの落着いた町並み景観に浸ることができます。

  • 観光客のいない二年坂の町並み①
  • 観光客のいない二年坂の町並み②

「ねねの道」にある圓徳院の先に、ひっそり細い裏路地のような石畳の小路が続いています。わずか1kmにも満たない石塀小路は、細い石畳の道が右に左に折れ曲がる玉石積に生垣・門・瓦葺き二階建ての家が続き、明治期末から大正期に開発された住宅地の佇まいが清楚で美しいエリアです。

迷路のような小路に敷き詰められた石畳の一部は、昭和50年代に廃止された京都市電の敷石を再利用したものだそうで、地域に根づいた生活空間になっています。一方で、小路の両側には料亭や旅館、スナックが建ち並び、祇園の奥座敷ともいわれています。伝統的な家並みとジグザグの道筋は、箱庭のようなランドスケープを演出してくれます。

  • 「ねねの道」から石塀小路への入口
  • 石塀小路①
  • 石塀小路②
  • 竹矢来のある町家
  • 石塀小路の路地
  • 枝垂れ桜咲く京料理家

このエリアを訪ねるには、石塀小路にある片泊りの宿(一泊朝食付の町家旅館)に泊って、朝食前に散策するのがおすすめです。朝食前に散歩すれば、春・秋のシーズンでも昼から夕のごった返すような喧騒とは無縁の静かな町並み散策を楽しむことができます。

祇園新橋・南白川(京都市東山区元吉町・末吉町)
~白川の流れと花街の洗練された情感あふれる町並み~

四条大橋を渡って四条通を八坂神社に向かう左右が祇園地区ですが、最初の細い道(大和大路道)を北に折れて白川の流れを大和橋で渡ると白川南通、その先の新橋通の東方、辰巳稲荷・新橋まで200m弱の狭い部分ですが、昔ながらの町並みが保存されている「祇園新橋・南白川の重伝建地区」です。

この地区一帯は祇園内六町の茶屋町として開発され、江戸末期の大火直後から明治初期にかけて建てられた同じ造りのお茶屋が、新橋通の両側に整然と立ち並びます。江戸時代には本二階は禁止されていましたが、お茶屋は許されていたのでこの質の高い洗練された町家街が造られました。

お茶屋の造りは切り妻・瓦葺きの本二階建て、一階は千本出格子に駒寄せ、二階は座敷で表に張出し縁や格子手摺を付けたものです。年中掛っている簾(すだれ)や竹矢来(たけやらい)と路地・石畳とが相俟って、茶屋町の町家風情と情緒を醸し出す条件がすべてそろった「京都らしい町並み景観」の筆頭といえます。この景観は偶然残っているのではなく、市と市民が力を合わせて歴史的景観保全を図ってきた賜です。

白川沿いの白川南通の北側は、太平洋戦争時の建物疎開で取り壊されたので、少し趣が異なりますが、白川の美しい流れ、川沿いの柳並木と石畳など一体となった町並みの歴史的景観は、一段と風情があります。観光客の散策が絶えないエリアですが、紅枝垂れ桜咲く4月中旬の薄暮時はおすすめの時季です。

なお、四条通南の花見小路通周辺も明治期に発展した同様の家並が見られ、横道に入るとなかなか風情のある光景が展開していますが、京都を代表する観光地区であるため、休日には人と車の雑踏を惹き起していますので、ここも早朝の散策がおすすめです。

  • 祇園新橋(新橋通)の町並み①
  • 祇園新橋(新橋通)の町並み②
  • 白川南通①
  • 白川南通②
  • 辰巳橋と末吉町の路地
  • 祇園南・花見小路裏手の通り

上賀茂社家町(京都市北区上賀茂中大路町・南大路町・藤ノ木町・池殿町)
~神職の住まいが形成する伝統の社家町~

京都市街地の北、堀川通の北端、賀茂川が山地に突き当った御薗橋の東岸に、重伝建(1988年に指定)の上賀茂社家街あり、小川の流れとともに静かなたたずまいを見せています。118ヶ所ある重伝建地区の中で社家町はここだけで、神官の住居が形成する町並みとして極めて珍しいものです。

上賀茂は、平安京の地主神である上賀茂神社を中心に、神官と農民によって門前集落が形成され、室町時代から神官の町として発展してきました。今日でも神社から流れ出る明神川に沿って、主屋の妻側に豕扠首(いのこさす)という独特の飾りを持った社家が連なり、明神川に架かる土橋、門、土塀越しの庭の緑と一体となって、江戸時代にできた社家町の歴史的景観を伝えています。

明神川は賀茂川の上流から取り込まれ、上賀茂神社の境内を流れ、御手洗川、御物忌(おものい)川と名を変えて再び明神川となる。上賀茂地区の灌漑用水として古くから大切にされてきました。社家町は明神川沿いに土塀を巡らせ、石橋を渡って門を入ります。明神川の水は各家々に引き込まれており、神官たちはその水で禊(みそぎ)を行っていました。

神社の鳥居よりも高い建物はいけないと言うことで、明神川沿いの建物はみな平屋か厨子二階。土塀越しには屋根しか見えませんが、本瓦の質感など堂々とした風格ある佇まいを見せています。その中程に唯一の公開邸宅・西村家別邸があります。現存する社家の中では最も昔の面影をとどめる、養和元年(1181年)作庭の庭園が残っているので必見です。

  • 明神川と石橋・土塀が雰囲気を盛りあげる社家町
  • 上加茂社家町
  • 明神川を石橋で渡る西村家別邸の門前
  • 明神川の水を取り入れた西村家別邸の庭園

嵯峨鳥居本(京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町・化野町・仙翁町)
~茅葺民家と町家が共存する愛宕社の門前町の町並み~

観光客でごった返す嵯峨野の西北に位置する嵯峨鳥居本は、古来景勝の地として親しまれ、歴史的景観を醸し出している地域です。愛宕街道沿い600mにわたり、およそ50棟の伝統的な民家や商家が立ち並ぶ門前宿で、1979年に重伝建地区に選定されています。

この町は愛宕街道に沿って17世紀中頃から農林業や漁業を主とした集落として開かれ、その後に愛宕神社の門前集落としての性格も加わり、江戸末期から昭和にかけては街道沿いに農家・町家のほか、茶店なども立並ぶようになりました。鳥居本の地名の由来は、愛宕神社の一の鳥居から始まる門前町だからではなく、旧盆に行われる五山の送り火での「鳥居形」の麓に広がる町並みからきています。

観光客も多い化野(あだしの)念仏寺の前の鳥居本仙翁町に、茅葺屋根と瓦屋根の合体したような曲がり中門造りになっている民家があります。この家より上には農家風な茅葺屋根の家が多く、下には瓦葺の京風町家が並んでいて、丁度境目のこの家が両方の要素を取り入れた格好になっています。

念仏寺より少し上に「嵯峨鳥居本町並み保存館」があります。この家は愛宕街道と瀬戸川に挟まれたこの地に明治初期に建てられたもので、一階は格子、ばったり床几に駒寄せがあり、中二階に虫籠窓、大屋根には煙出しを備え、土間には竈や井戸などもあります。

ここより上に茅葺屋根の家屋が続き、一の鳥居前の鮎料理の「つたや」と「平野屋」で茅葺屋根の町並みは終ります。このあたりが鳥居本の茅葺屋根のみどころの景観で、平野屋の茅葺屋根は苔むし、床几に赤い毛氈が敷かれていて、歴史的な町並みを今に伝えています。

  • 茅葺きと瓦葺き民家が周辺環境と一体となった歴史的景観①
  • 茅葺きと瓦葺き民家が周辺環境と一体となった歴史的景観②
  • 一の鳥居につながる鳥本の町並み①
  • 一の鳥居につながる鳥本の町並み②
  • 茅葺きの食事処「平野屋」
  • 鮎料理の「つたや」

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