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- Vol.14 喜多方・会津若松(福島県)
喜多方・会津若松(福島県)会津の小江戸、蔵の町と城下町の町並み
今回の町並み探訪は、福島県会津地方の小江戸と呼ばれる二つの町、会津藩の城下町・会津若松と蔵の町・喜多方とを訪ねます。両町は150年前の戊辰戦争や明治初期の火災で焼失して以降、復興して造られてきた町並みですが、歩んできた歴史と今の町並みのたたずまいを重ね合せることで、味わい深い歴史の町並み探訪になるところです。
喜多方 (福島県喜多方市)
~漆器・酒造・生糸で栄えた、2,600もの蔵がひしめく蔵の町~
最近は喜多方ラーメンで全国的に知られる喜多方ですが、人口4万人に満たない町に蔵の数が約2,600棟という全国的にも稀有な「蔵の町」です。市町の表通りはもとより、路地裏や郊外に至るまで多彩な蔵が建ち並んでいる様は圧巻です。
会津領の中心地・会津若松の北7km強にある喜多方は、鉄道でいうと磐越西線で若松駅から15分。「会津盆地の北方(きたかた)地域」にその名が由来するといわれ、廃藩置県後に周辺諸村との合併を期に「北方」から「喜多方」と幸福度の上がるような名に改称されました。
江戸期から酒造と漆器の町だった喜多方は、周辺農村部の物資の集散地として栄えていたため物資の蓄えに蔵を必要とし、同時に味噌・酒造といった醸造業にも蔵が最適だったことなどから、多くの蔵が集中することになりました。
そして、明治37年に岩越鉄道(現JR磐越西線)が開通して、製糸業が飛躍的に発達しました。酒造業は古くから盛んで、町の有力商人が酒造業を営んでいました。今でも吉の川酒蔵・大和川酒造小原酒造・清川酒造・夢心酒造・ほまれ酒造など十を超える酒蔵が現役で稼働していて、町の魅力度アップに貢献しています。
この町に蔵が多いのは、「40代で蔵を建てられないのは男の恥」という精神が喜多方の男たちの心意気として根付いていたからだそうです。明治13年(1880)に起きた喜多方大火の際、くすぶりながらも蔵だけが残ったという歴史も踏まえて、蔵の頑強さが喜多方の生活を支えてきた「うつわ」でした。
蔵を建てることが男のステータスだった喜多方は、蔵の中に生活も、文化も、そして心意気も凝縮させてきました。その代表的な蔵が国登録有形文化財の「甲斐本家の蔵座敷」です。外壁を黒漆喰で塗り込めた座敷内部は、東京・深川から選りすぐりの銘木を取寄せて作り上げた重厚な座敷です。大正6年(1917)に4代目吉五郎が新潟から棟梁を招き、各地の名家を見て歩き着工したといいます。
喜多方の蔵の町並は、一か所に集中した連なりになっていないので、これまで国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)には指定されていませんでしたが、今年(2018年)5月、ようやく全国で118番目の「重伝建」に指定されることになりました。指定されるのは、もともとの中心部の小田付(おだづき)地区(中町・南町など)で、現在の中心地ふれあい通り(中央通り)沿いの小荒井地区は対象外となりました。
ふれあい通り沿いでは、味噌醤油醸造元の若喜商店の「縞柿の蔵屋敷」や、竹久夢二も投宿した笹屋旅館の辺りから甲斐本家の間が蔵造りの建物が集中しています。途中、酒蔵無料見学ができる清川酒造や大和川酒造、吉の川酒造の酒蔵が特徴的です。今、以前あったふれあい通りの商店町のアーケードも撤去されて、明るく開放的な蔵の町並みが際立って見えるようになったことは、好ましい限りです。
一方で、今回重伝建指定となった中町・南町の街並みは、小原酒蔵の建物を中心に味噌醤油の金忠の蔵、会津うるし美術博物館とまとまりがあり、景観も勝っています。ラーメンを「はしご」しながら、酒蔵巡りは喜多方でしかできません。また、北に少し離れた松山町にある会津ほまれの「ほまれ酒造」は、雲嶺庵という広大な日本庭園を眺めながら試飲もできる直営店をもっていて、是非足を延ばしたいところです。
喜多方を訪ねる際にぜひお薦めなのが遅い春の枝垂桜の季節です。4月中下旬、昭和59年に廃線となった国鉄日中(にっちゅう)線の廃線跡地を整備した「日中線記念自転車歩行者道」には、3kmに亘って約1000本のシダレザクラ並木が続き、全国的にも稀な壮観の景色に圧倒されます。
会津若松・七日町 (福島県会津若松市七日町・大町)
~会津士魂が息づき、江戸の町方も残る~
会津地方の中心、会津若松と言えば鶴ヶ城・白虎隊の飯盛山などが有名で、5年前の大河ドラマ「八重の桜」の舞台でもありますが、市町地の中心、大町四ツ角から西に延びる七日町通りは、観光客をはじめ全国の商店町からも注目を集めています。
明治元年の戊辰戦争での戦火で市街の殆どが灰塵と化したあと、明治から昭和初期の繁栄を極めた時代に有力商人が建てた建物が商店町として市内各所に残っていました。この町並みも高度成長期に衰退しましたが、蔵や洋館、木造商家など奇跡的に残っていた建物を再生して、大正浪漫ただよう町並みとして復活されました。喜多方の蔵の町並みとは全く違う雰囲気で、懐かしい気分になれる町歩きができます。
秀吉から会津の地を与えられた蒲生氏郷は91万余石を領し、家康・毛利輝元に次ぐ有力大名でした。領主は江戸初期に蒲生~上杉~加藤とめまぐるしく代り、寛永20 (1643) 年、保科正之が最上から移封されたあと、松平姓が与えられ、徳川御三家に次ぐ大名として幕末まで続きました。
中世の城下町を近世の城下町若松を造ったのは蒲生氏郷で、理想的な自由経済都市建設という信長の夢を実現しようと町づくりに着手しました。武士と町人の雑居が改められて、郭外の町割りを定めて商人・職人の居住地を定め、市を開くことを許しました。これによって武家屋敷と町人町が区別され、今まで郭内にあった、大町・馬場町が郭外に移されました。
町並みとしての七日町辺りは、氏郷の城下町整備によって大町が郭内から今の位置に移ってきた時にできた町で、大町札辻より西に行く越後・出羽両国に通じる町道に沿った町でした。交通の要衝なので旅籠屋が多く、幕末には城下全町の旅籠屋95軒中、七日町だけで30軒を数えていました。
戊辰戦争での壊滅的な被害の復興を支えた有力商人たちが建てた店舗や店蔵・土蔵・伝統的な様式の民家が、大町から七日町の通りに残ります。只見線の七日町駅の東から国道118号線にぶつかる辺りの1km余りには、土蔵造りの店、レンガ造りの土蔵、洋風な近代建築と、様々な建物が通りに面して建っています。特筆すべきは、明治期以後の洋風建築が数多く残っていることです。
郊外の温泉地、東山温泉や芦ノ牧温泉に宿泊し、喜多方の町並み探訪と併せて、会津若松観光の中にこの界隈の町並み探訪を組入れるのも、なかなか味わい深いものになるでしょう。
鶴ヶ城
初代藩主・蒲生氏郷が立てた七層の天守閣難攻不落の鶴ヶ城は、戊辰戦争(会津戦争)の6年後、明治政府の命令で取り壊しになりましたが、会津人の思いは強く、昭和40年に再建されました。4月中旬、桜の時期の鶴ヶ城は、城内にソメイヨシノを中心に約1,000本の桜が咲き誇って、今年150年となる戊辰戦争の歴史を偲ぶ旅に華を添えてくれます。
喜多方市マップ
会津若松市マップ
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