懐かしい歴史の町並み探訪 Vol.13 奈良井宿・木曽平沢(長野県)懐かしい歴史の町並み探訪 Vol.13 奈良井宿・木曽平沢(長野県)

奈良井宿・木曽平沢(長野県)中山道の町並み

150年前の佇まいをそのまま現代に残す宿場町

歴史に彩られた懐かしい町並みを訪ねるこのシリーズでは、これまで第5回の北国街道・海野宿以外、江戸時代の街道筋の宿場町を取上げていませんでしたが、今回は五街道の中でも当時の面影をよく残している中山道、その中でも一級品ともいえる宿場町の景観を留めている、信州木曽谷の奈良井宿を取り上げます。

五街道をはじめとした街道筋の宿場町は、当然ながら道路に面した町並みで、明治に入って参勤交代や巡礼などの徒歩通行がなくなり、宿場の機能が一気に衰退します。さらに鉄道網の発達と道路拡張など交通インフラ整備の影響をダイレクトに受けて、城下町や在郷町などとくらべても150年前の佇まいをそのまま現代に残す宿場町は、全国でも極めて数少なくなっています。

奈良井宿(長野県塩尻市奈良井)

奈良井宿は中山道が諏訪湖を回って木曽谷に入ると、贄川(にえかわ)宿から始まる「木曽十一宿」の2番目の宿場町です。中山道六十九次の中で東海道と重ならない純粋な六十七宿中(板橋から守山まで)、奈良井宿はどちらから数えても34番目、中山道のちょうど真ん中に位置します。

「木曽十一宿」の中では標高が900mと最も高く、難所の鳥居峠を控えて多くの旅人で栄えた宿場町は「奈良井千軒」と謳われました。しかし、奈良井には旅籠は他の宿場にくらべて少なく、漆の塗師の家や商いをする町家などが多くを占めていました。町のすべてが宿駅として機能していたのではなく、半ば商工業の町として機能していたといいます。

このような繁栄の町場が国道から外れたことで、今でもほぼ往時のままといえる古い町並みが残り、また規模も大きく、1987年、妻籠宿に続いて宿場町として2番目に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。重伝建地区として旧家の保存や電柱撤去などが行われてから、地元住民の協力の下、当時の町並みが大切に保存され、宿場時代の姿を逆にとり戻したともいえます。

現在でも見られる古い建物の多くが、幕末の天保~弘化年間(1830~1847年)に建てられたもので、町家は鉄板葺がほとんどですが、以前は石置き板葺屋根でした。

二階を少しせり出した出梁(だしばり)造り、入口にはめられた大戸と潜り戸、入口の横の蔀(しとみ)戸、二階の手すりの真黒くすすけて落ち着いた格子、その両脇につけられた白漆喰の袖うだつ、各部にさりげなくそえられた彫物、これらはすべて奈良井に残された宿場の建築です。

そして、長く伸びた軒の小屋根(庇)をおさえた猿頭(さるがしら)と呼ばれるサン木は、格子や蔀戸(しとみど)とよく調和して他では見られない、一級品の深い味わいを醸し出しています。

宿場町は、奈良井駅のある北側から下町・中町・上町の三地区に分かれています。約1㎞強の家並みは、曲線を描きながら鳥居峠に向かって緩やかに登っています。道幅が上町・中町・下町で異なり、中町が一番広く6~8m、次いで上町で5~6m、一番道幅が狭いのは下町で4mそこそこです。

下町は主として漆器職人が居を構えた地区らしく、小規模な町家が緩やかにカーブしながら緩い上り坂に沿って密集しています。出梁造りで二階部分が街路に覆い被さるような印象を受ける、迫力の町並みです。

中町に入ると間口の広い裕福そうな家々が目立つようになり、牛馬の手配をしていた下問屋・上問屋の建物も残り、街路幅も下町にくらべて広いことから、町の中心を感じさせます。町家で公開されているのは、元櫛問屋・中村家と上問屋・手塚家の二軒です。上問屋史料館になっている手塚家は、明治維新で宿場制度がなくなるまでの270年間、奈良井宿の問屋をつとめてきた家で、建物は国の重要文化財になっています。

直角に二度街路が曲る鍵の手を経た上町も、端正な町家群が連なります。鳥居峠を控えたこの辺りは、高札場と共に水場もあちこちに設けられ、険しい山道を越えてきた旅人に潤いを与えたことでしょう。

保存度・規模ともに全国屈指の町並みといえる奈良井宿ですが、現在の町の姿は木曽南部の妻籠宿や馬籠宿とくらべても観光地的ではなく、団体客の姿は少なくせいぜい少人数の散策客が見られる程度です。大きく俗化することなく町並みの質が保たれている点について、ここは全国一の成功例かもしれません。

  • 奈良井宿の碑と看板
  • 漆器店の並ぶ下町の町並み
  • 下町の町並み
  • 横道の水場
  • 中町の上問屋史料館・手塚家
  • 杉の森酒造
  • 中町の町並み
  • 元櫛問屋・中村家
  • 中村家の内部
  • 中町の出梁造りの町並み
  • 上町の町並み
  • 上町の高札場(復元)
  • 鎮神社から奈良井宿上町の町並み
  • 上町の鎮神社

中山道の難所・鳥居峠越え

奈良井宿の南に江戸時代、中山道木曽路最大の難所とされた標高1197mの「鳥居峠」があります。次の薮原宿までを結ぶ峠越えの道は、現在は信濃路自然歩道中山道ルートとして石畳の道も復元され、昔ながらの中山道を堪能することができます。

かつては、美濃国と信濃国の境だったこともあるこの峠は、およそ1300年前に完成したもので、明応年間(1492~1500)、松本の小笠原氏との戦いで木曾義元がこの頂上に鳥居を立て、御嶽権現に戦勝を祈願したことから、「鳥居峠」と呼ばれるようになりました。

峠に雪の残る3月に、南の宿場町の風情を残す藪原宿から奈良井宿・上町への約5kmの峠道を歩きましたが、遠く御岳山を遥拝する場所として人々の崇拝を集めた御嶽神社など、歴史を感じさせる風情の残るトレッキングコースになっています。

  • お六櫛の店「萬壽屋」
  • 鳥居峠手前から藪原宿方面を望む
  • 所御嶽神社の石仏・塔群
  • 雪に覆われた鳥居峠
  • 鳥居峠への道
  • 奈良井宿から鳥居峠への石畳道

木曽平沢(長野県塩尻市平沢、旧木曽郡楢川村平沢)

奈良井宿の北に中山道沿いに連なるように、奈良井宿の枝村である平沢集落があります。16世紀末頃に集落形成が始まったとされ、慶長7年に江戸幕府により中山道のルートとして整備されたことで、宿場である奈良井宿の枝郷という位置付けの、木曽漆の工人町として発展しました。

ここには奈良井宿を支えて、旅籠が33軒余りあったといわれることから、公務を負担した奈良井宿との分業が行われていたと思われます。標高900m、高地の寒冷気候が漆工に適していることもあって、江戸時代を通して中山道随一の漆器生産地として栄えることになり、今日においても漆器生産量は日本有数だそうです。

江戸時代末期から昭和時代初期にかけて漆工町の特徴を伝える建築が多く現存する本通り(旧中山道)と、金西町および諏訪神社周辺が2006年に重伝建に指定されました。塩尻市内では奈良井に続いて2カ所目です。奈良井は年間約40万人もの観光客を集めていますが、平沢はその10分の1ともいわれ、何とか漆器を中心に町興しを図ろうとしているようです。

今、奈良井駅の一駅北の木曽平沢駅から平沢を訪ねると、昭和の初めにはわずかに十数軒にすぎなかった業者も、今では100軒を越えて漆器一色の町となっています。活気溢れた民芸調の店が並び、観光地のみやげ物屋の雰囲気のような町並みを形成し、宿場町とは違った雰囲気を醸し出しています。

工房の家々のドアはピシャッと閉められているのですが、漆器製造の天敵の風を店内に入れないためだそうです。店舗の前に続く中山道は緩いカーブを描いていて、そうした箇所では家々は街路に平行せず、鋸状にデッドスペースを作りながら町並みが連なっています。

  • 木曽漆資料館「ちぎりや」
  • 漆器工房の並ぶ平沢の町並み
  • 漆器工房は風を入れぬために
  • 緩やかにカーブを描く鋸状の町並み

アクセス

交通
奈良井宿
東京駅→JR中央本線(特急)塩尻駅→JR中央本線(各停)奈良井駅
木曾平沢
東京駅→JR中央本線(特急)塩尻駅→JR中央本線(各停)木曾平沢駅

奈良井宿マップ

木曽平沢マップ

関連リンク

Profile

室田 隆 Takashi Murota

1950年(昭和25年) 東京都生れ
生保会社に40年勤務。高校時代から山歩きに勤しむ一方、古寺・仏像・庭園が好きで京都・奈良・滋賀・鎌倉を中心に古寺を訪ねる。西国・坂東・秩父の「日本百観音巡礼」、「五木寛之の百寺巡礼(BS朝日)」をはじめ、全国の古刹の仏塔・仏像と名庭園を巡る。
最近は「歴史を感じる懐かしい町並・集落探訪」をライフワークとして位置づけ、重伝建地区全118ヶ所を含め、1700ヶ所以上の街道・宿場町をはじめ古き良き町家や町並み、農漁村集落を訪問。また、「名城・城跡巡り」、「桜の名木巡り」、「江戸町巡り・東京の坂歩き」、「日本画中心の美術展観賞」などを並行して取り組む。読書は歴史書、時代小説、紀行文を含めて乱読。
旅の手段は自動車でなく、公共交通機関を使った旅のため、「ローカル線の鉄道旅」や「秘湯温泉巡りの旅」、「地酒行脚」も旅の友として楽しむ。