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- Vol.8 小林洋 氏
小林氏(以下敬称略):音楽の道に進もうという固い意志はなかったです。中学生のときにブラスバンド部に入って、フルートを吹いていましたが、教室に置いてあるピアノをいたずらでよく弾いていました。どちらかというと、クラシックというよりはポピュラーが好きでした。コードネームを見ながら和音をつけてメロディを弾くようなものですが、ピアノが好きでよく弾いていました。今でもその延長みたいなものです。
でも、音楽の勉強だけは一生懸命やりましたね(笑)。その後、東京の音楽専門学校で1年間勉強しましたが、友だちに誘われて六本木のジャズ・スクールを見に行ったら、「自分のやりたいものはこれだ」と思って、すぐに専門学校をやめてそのジャズ・スクールに入りました。卒業後はそのスクールの講師になりました。
そこにはいろいろなミュージシャンが出入りするんです。講師をしているとき「仕事でトラ(※)があるんだけど、やってみない?」と誘いがきたのです。バンドに入れてもらって演奏したのがデビューということになります。そこから仕事が広がっていきましたね。実践としては経験不足でしたが、少しずつやっているうちに、プロの人たちと知り合うチャンスがでてきたのです。
小林:吉祥寺の「曼荼羅」というライヴハウスが最初です。昔、銀座のジャズクラブの老舗に「ジャンク」というお店がありまして、お店が終わると従業員が集まってバンドの練習するんです。ぼくも仲間に入れてもらい、そこでピアノを一緒に練習していました。そして、「曼荼羅」に出演してみないかという話になりました。「小林洋カルテット」という4人のバンドで、自分の名前が世の中に初めて出ました。とにかく緊張しちゃいましてズタボロになっちゃった(笑)。いきなり自分がリーダーで出演したものですから、緊張して真っ白になっちゃって演奏がけっこうぶち壊しになってしまいました。これがプロとして、ジャズの道へのぼくの第一歩でした。
小林:数年前、東京ドームでの野球の開幕戦(日米野球2002:巨人VSメジャーリーグ)のときのステージです。息子(ジャズ・ヴォーカリストの小林桂さん)と2人で出演し、「君が代」を桂君が独唱し、ぼくがピアノ伴奏をしました。ぼくは野球を全然知りませんから、それがどれくらい重要かも知らずに(笑)、仕事をしてしまいました。東京ドームのド真中で2人きりです。息子がデビューして知名度があったからでしょうけれど、普通にジャズやっていても経験できるものではないと思います。
ある業界の大きなイベントで横浜アリーナでも息子と2人でやりました。そんな多くの人の前でやるという経験がないものですから、何万人もの観客の前でピアノと息子とパフォーマンスするのは、音がブワーっと飛んでいくようで、あれは宇宙だったね(笑)。それはすごく気持ちがよかったね。
小林:うちの家内(ジャズ・ヴォーカリストの村上京子さん)と一緒になって「シャイニー・ストッキングス」という女性コーラスグループを1980年に結成して、そのアレンジとピアノ伴奏をしています。息子がデビューして売れているものですから(笑)、その音楽監督もしています。アレンジャーの仕事と、ジャズ・ピアニストの仕事と、教える仕事と、音楽監督など現在はけっこう多角的にやっています。
また、今まであまりストリングス(※)というものを入れていなかったのですが、「小林洋&ザ・室内バンド」を結成して、昨年の7月に初めてコンサートをしました。ザ・室内バンドのコンセプトは、「優しい音で、美しいメロディ、かつハッピーで楽しいもの」です。もともと美しいメロディですから、ジャンルにこだわらないお客さんに愉しんでもらいたいのです。仕事では、本格的なジャズをやっているのですが、ぼくが本当にやりたいものは、ジャズとちょっと違ったこういう音楽です。
ホーム・ミュージックやセミクラシックは基本的にお行儀がよいものです。だけどぼくは、ジャズのもっているユーモアがとても好きです。笑いがないと嫌なんです(笑)。“笑いと、美しさと、優しさ”やはりこれに尽きます。ぶっちゃけた、ちょっとふざけた部分でお客さんをリラックスさせてあげるんです。ときには泣かせるような優しさと美しいメロディを、ときにはリズミックなものを混ぜて、トータルに美しいメロディにしています。ジャンルにこだわらず、演奏する人も聴く人も純粋に愉しくやりたいんです。ぜひライブ演奏を聴きにきてください。
桂さんには、小さいときから音楽の英才教育をさせたのでしょうか。
小林:ぼくも家内も息子に音楽を強要したことはないです。子どもに親のエゴを押しつけるのが嫌いですから。強要されるのは自分でも嫌いですし、小さいときからできる限り自分の意志で、できる範囲で、できるだけ自分のやりたいようにさせてきました。横道に反れては困るけれど、もうほとんど放任主義です。 桂さんはどんなことが好きでしたか。
小林:ミュージカルで、唄ったり踊ったりするのに、とにかく反応しちゃって。彼は3歳にして自分の好きなことを見つけていました。デューク・エリントンのミュージカル・ビデオを、息子も3歳のときに一緒に観てすごく感動して、自分もやろうと思ったらしい。「ミュージカルやりたいから、踊りをおどりたい」って言ったんです。親が強要したというのではなく、自分からクラシック・バレエを習いに行ったんです。うちは共稼ぎで忙しかったので、1人で電車に乗れるようになってから、幼稚園で5歳頃でしたが一駅電車で通って行きました。そこでけっこういい成績を残しました。 進路のことでなにかアドバイスなさったりしたことはありますか。
小林:彼はクラシック・バレエを中学生まで一生懸命やってきたのですが、13歳のときミュージカル『キッズ・イン・ザ・キッチン』の主役をやらないかという話がきました。彼にとっては願ってもないことで喜んだのですが、クラッシック・バレエの先生に相談したら二足のわらじはだめと言われて、彼は今まで悩むっていうことはしたことなかったと思うけど、そのときおそらく初めて遭遇したんじゃないかな。今まで一生懸命やってきたクラシック・バレエを取るか、今後自分がやっていきたいミュージカルのきっかけになるであろうその仕事をやるかということで、すごく悩んでいました。 自分の進む道は自分で決めさせたのですね。
小林:“自分の人生は、自分で決めて好きなように進む”というのがぼくの信念かもしれません。同時に、高校進学をどうするのかという問題がありました。彼は、「とにかくやりたいことがいっぱいあるから時間がない」と言います。また先輩の高校での話をきいて、「やりたくもない勉強をするんだったら、自分は踊りの勉強もしたいし、音楽の勉強もしたいし、とにかく時間がもったいないから、やりたいことをやらせてくれ」と言いました。さすがにぼくも、「高校に行きながら好きなことをやっていけばいいんじゃないかと思うけど、とにかくよく考えろ」と言いました。彼はよくよく考えて、絶対後悔しないからと言って自分で決めました。 両親がきちんと働いている姿を見て育ったのですね。
小林:正直いって生活が精一杯でした。桂君が生まれて3ヶ月くらいからベビーシッターに預けて、家内と一緒に仕事に行くんですけど、ふたりで働いてもベビーシッター代を払うために1人分の稼ぎにしかなりません。親らしいことはなにもせずに、好きな音楽をやってきただけなので、親としては本当に申し訳ないという気持ちもあります。 |
小林洋&ザ・室内バンドのライブ録音を拝聴させていただきました。その中の「THE LAST INK PAINTING(最後の水墨画)」は、お父様への想いですね。
小林:小林常雄『墨彩画集』にも書きましが、ぼくが尊敬する父は、本当にコツコツものごとを几帳面にやる人で素晴らしいと思います。父はとても無口で、一緒に酒を飲んだりしてもあまりしゃべらないし、母にも言わなかったんだから、何を考えているのか誰もわからないですよね(笑)。 「SILVER WEDDING WALTZ」という銀婚式の曲は、小林さんの愛情が込められているのですね。
小林:昨年の7月に「小林洋&ザ・室内バンド」の初めてのコンサートをしました。実はその日が、ちょうどシルバーウェディング(銀婚式)の日だったんです。いちばん思い出に残るだろうと思って、記念日の曲を作りました。それ以来、その曲をエンディングテーマにしています。 若手メンバーを養成していらっしゃいますが、心がけていることがありますか。
小林:音楽を教えるのは本当に難しいです。音楽をやるのは上下がないところですから、ともすると、そこにあぐらをかいてしまいがちですが、音楽を離れたときには、人間として上下関係を考えないといけないのです。 どの世界でも礼儀が大切だということでしょうか。
小林:最近つくづく思うことは、師匠あっての自分という気がします。最初東京に出てきてからジャズの学校にきてまったくわからなかったときに、とても懇切丁寧に教えてくれた先生がいます。その先生が教えてくれなかったら今の自分はないのだという気持ちで、今でも尊敬しています。 ジャズをやっていて愉しいと感じるときはどんなときでしょうか。
小林:今いちばんやりたいものはザ・室内バンドです。いちばん自分らしく、自分が求めるものを自然体で表現していきたいのです。自分で書いた譜面ですから、納得のいくように愉しくやっています。
お話しをお伺いしていると、好きなことを見つけることが人生ではとても大切であるように感じました。息子さんの桂さんはなんと3歳にして見つけ、そのまま好きな道に邁進していらっしゃるということです。でも音楽を離れたときは、しっかりと父親の顔になって話しが尽きません。いちばん自分らしく、自分が求める音楽を表現するためにアレンジし演奏することが、小林氏にとってはイコール人生の愉しみである、という熱い思いが伝わってきました。今後の益々のご活躍をお祈りいたします。
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