年輪を重ねることはそれなりに愉しい人生年輪を重ねることはそれなりに愉しい人生

まだまだ強くなる余地がある。いろんなレースを経験して、世界との差を縮めたい。エキップアサダ プロロードレーサー 宮澤崇史さん3歳で自転車の楽しさに目覚め、中学時代にテレビで見たツール・ド・フランスのとりことなり、ロードレースの道へと進んだ。そして2008年――。北京オリンピック出場、ツール・ド・北海道での個人総合優勝という栄冠を手にした。ツール・ド・フランス出場を目指すプロロードレースチーム「エキップアサダ」のエースのひとりで、今、最も勢いに乗る宮澤崇史さんに話を聞く
●宮澤選手は、2009年7月1日より、移籍先の「アミーカチップス・クナウフ」
  から「エキップアサダ」に復帰されました。
北京オリンピックに備えた登りの練習が、「ツール・ド・北海道」での個人総合優勝となって実を結ぶ。

ツール・ド・北海道(9月11日~15日)での個人総合優勝、おめでとうございます。ステージレースの優勝とワンデーレースでは違いがありますか。
宮澤選手(以下、敬称略):はい。ステージレースは2日以上レースを行なって、その総合成績で競いますが、レースの初めから終りまで高いレベルで緊張感を保たなければいけません。そこが、1日で勝負するワンデーレースとは違うなと感じました。

ツール・ド・北海道の表彰式にて
北京オリンピックに向けて登りの練習をされたそうですが、それが北海道のレースでも役立ったとか。
宮澤 : 北京オリンピックは高低差約600メートルの周回コースを走るということで、厳しいレースになることが予想されていました。自分自身、登りが弱いので練習はかなりしました。そのせいか、北海道のレースでは後半に調子が上がって優勝することができたし、オリンピックの後にフランスで行なわれたツール・ド・リムザンなどのレースでも、すごく調子が良かったんですよ。

北京オリンピックへの出場が決まった時は、どんなお気持ちでしたか。
宮澤 : オリンピックへの出場がゴールではないので、両手を挙げて「やったー!」という気持ちではなかったんです。「よし、行くんだな」という感じで。

オリンピックに出場されて、得るものはありましたか。
宮澤 : あらためて感じたのは、登りの勝負では世界との差が歴然としているということです。オリンピックにしろ世界選手権にしろ、ワンデーレースは結構きついコースが設定されます。日本人は平坦なコースなら十分勝負できますが、登りのきついコースになると世界とは差がある。考えようによっては、まだまだ強くなる余地があるんですね。今後もっと勝ち数を増やし、ワールドカップなどに参戦して、いろんなレースを体験すれば世界との差はきっと縮まると思います。

ロードレースとの出会いは、テレビで見たツール・ド・フランス

そもそも自転車を始めたきっかけは何ですか。
宮澤 : 3歳の時に初めて自転車に乗って、すごく楽しくて、その感覚がずっと続きました。小学生の頃は、学校が休みの日はずっと自転車で遊んでいたし、遠く離れた友達の家に出かけたりもしました。中学生になってどうしてもロードタイプの自転車に乗ってみたくて、欲しいなって思っていたら親が買ってくれて。そのうち、たまたまテレビでツール・ド・フランスを見て、自転車レースってすごい!と思ったんです。そうしたら近所でマウンテンバイクのレースがあるから出てみようということになって…。だんだん自転車競技にのめり込んでいきました。

初めからロードが好きだったのですか?
宮澤 : どうしてもロードがやりたくて、自転車部のある高校を探しました。本当に自転車選手として頑張ろうと思ったのは高校3年の時。オフロードで行なわれるシクロクロスという自転車競技の世界選手権に日本代表として出場したのですが、その時に東京のラバネロというクラブチームの監督から、うちに来ないかと声をかけていただいて、プロ生活に入りました。

もし自転車選手になっていなかったら、何をしていたと思いますか。
宮澤 : 料理人かな? 高校卒業後にイタリアに留学したのですが、その時に食事が毎日ほぼ同じメニューだったんです。肉が変わったり、パスタが米に変わるくらいで。それがとても嫌で、自分で料理を勉強しようと。やってみると面白いですよ。チームの合宿では、毎日9人前くらいの食事を僕が作っています。

一時、伸び悩んだ時期もあったそうですが、何か転機になるようなことがあったのですか。
宮澤 : 7年前に母親に生体肝移植をして、その後ずっと運動できない時期がありました。体中の筋肉が緩み、膝痛が起きて思うように走れなくなったのです。回復に2年くらいかかりました。その間に十分な走りができずにチームを離れた時期もありました。当時は自転車を続けたいと思う一方で、これ以上やっても周りや親に迷惑がかかるという思いもありました。そんなとき浅田監督からきちんと結果を出して戻ってこないかと言っていただいて。親も応援してくれたので、もう一年やるだけやろうと決心しました。

浅田監督をはじめ、周囲の人の後押しがあったのですね。
宮澤 : しばらくして、福島晋一選手から、フランスで合宿をするので来ないかと誘っていただきました。合宿では、それまで自分が正しいと思っていたことをすべてリセットしました。今までの自分のやり方では結果が出ないのだから、ゼロから出直そうと。そして、すべてを忘れて、からだがボロボロになるまで毎日、毎日走りました。それで合宿明けのレースでなんとか優勝することができ、浅田監督に認めていただいたのです。でも、監督からはさらに1年チャンスを与えるからもっと結果を出すように言われました。その頃から走りでチームに必要な人間であることをアピールでき、結果もついてくるようになったんです。

我慢と頑張りを感じます。
ところで、今の若い人に対して、何かアドバイスはありますか。
宮澤 : 物事にじっくり腰を据えて取り組むことは意外と楽しいことで、ゆっくり時間を使うことが人生を充実させるということを知ってほしいですね。日本人って休日は遊びに行ったり、自分の好きなことをしなくちゃいけない日だというイメージを持っていますよね。何かしないともったいないと。一方、ヨーロッパの人は、休日は家族でゆっくりするんですよ。何もしないんです。僕も最初はその考え方が理解できませんでしたが、最近では何もしないことがすごく幸せだとわかってきました。

オフはどのように過ごしていますか。
宮澤 : 去年は九州、その前の年は温泉旅行に出かけましたが、今年のオフは「何もしない」がコンセプトです。ゆっくり音楽を聴こうかと。僕はオーディオが好きで、今年は以前から欲しかったスピーカーとアンプが手に入ったので、家でずーっとクラシック音楽を聴きます。とても贅沢で幸せな時間です。

音楽のほかに趣味は? 読書はされますか?
宮澤 : 料理とスポーツ全般ですね。テニス、サッカー、野球と球技が好きです。読書は、あまりしません。でも、この間から経営コンサルタントの船井幸雄さんの本を何度も繰り返し読んでいます。共感する部分がありまして。会社づくりとチームづくりが似ている部分が結構あって、ひとつの組織として動いていく上で何が大事かがわかるんですよね。
ロードレースは、エースだけでなく、アシストの選手にも勝つチャンスがある。

ロードレースの選手は、他のスポーツ選手と比べて回復力やスタミナが違うように見えますが、何か秘訣がありますか。
宮澤:とにかく外にいる時間を長くすることですね。シーズンの最初に乗り込みをするんですけど、朝10時過ぎに出て、帰ってくるのは午後6時頃。その8時間のうち走っているのは6時間くらいですが、外にいることが大事です。自転車に触れている、1日の中で練習がメインになっていることがとても大事。1日中外にいる日課を繰り返すことでスタミナがつき、回復力もつきました。

ロードレースは、チーム競技でありながら個人競技でもあるという性格を持っています。自分を抑えなければいけないけれど、でも勝ちたいという、そのあたりの気持ちのせめぎ合いがあるかと思いますが、そのへんはどのように解決されていますか。
レース中、無線で連絡をとる宮澤選手
宮澤 : 今回のツール・ド・北海道でも、そうした場面がありました。もともと北海道のレースにエースとして臨んだのは、新城幸也選手と清水都貴選手でした。僕は準エース的な位置づけだったんです。で、第1ステージの最後の下りが勝負どころになりそうだと思って、チームのメンバーに無線で最後の下りは気をつけよう、逆に自分たちがそこで攻撃を仕掛ければ他のチームにダメージを与えられるかもしれないと話していたんですね。そうしたら、その下りでイタリアの選手がアタックをかけたので、僕は追いかけたんです。でも、他のメンバーはついてこなかった。本来なら、僕はイタリアの選手を追わずに、後ろを待たなければいけなかったのです。周りの選手にもなぜ追いかけたのかと言われて…。

でも、勝ちたいという気持ちは抑えられませんよね。
宮澤 : 自分はアシストだからエースのために犠牲にならなければいけないというのは、あまりいい表現ではないですね。アシストにも勝つチャンスがあるんですよ。レースの終盤になって、勝負どころで選択肢が少なくなってきた時に、エースを助けようと思ってアシストが動くことも往々にしてあります。そうした場面で勝つチャンスをものにできるか否かが、アシストからエースに変われるかどうかの転換点ともいえますね。

今のチームで、エースの役割を果たすのは…。
宮澤 : 福島晋一選手と新城幸也選手、清水都貴選手と僕の、だいたい4人ですね。この4人がそれぞれ違う特徴を持っています。福島選手と新城選手はきつい展開になったら強いし、清水選手は登りが強い、僕はスプリントが得意というように持ち味が違います。ということは、展開によって誰がエースで行くのかというのが明らかに決まります。それが層の厚さであり、チームとしての強みにもつながっています。レース観戦の時には、各選手の個性や強みを知って見てもらえると楽しめると思います。

ロードレースには、ユニークなルールがある。

ロードレースには他の競技では想像できないような独特のルールがあるようですね。たとえば、おしっこタイムとか。
宮澤 : おしっこタイムは、レースの展開を区切る時に取ります。リーダーチームの特権です。ツール・ド・北海道でも、アタック合戦が繰り返されて、選手間の思惑が一致しなかったり、レース展開が膠着状態になった時におしっこタイムを取りました。自転車を停めないとできない人と走りながらできる人がいるんですけど、僕はどちらかというと後者ですね。おしっこタイムの最中に給水したり、食べ物をとったり、監督と戦略を確認する場合もあります。

ほかにロードレースならではの変わった風習や特別ルールなどはありますか。
レース中の食料は、サコッシュという袋に入れて手渡される
宮澤 : 海外のレースで多いんですけど、登りで観客が選手のお尻を押すんですよ。体重が重くて登りで苦労する選手がいます。タイムアウトにならないように必死に走りますが、遅い。そういう選手を観客が押すわけです。最近は、勝負している選手がそれをやるとペナルティが課せられるようになりました。他に他のスポーツと変わったことと言えば、レース中にものを食べることくらいですね。

どんなものを食べるのですか。
宮澤 : 僕らはジャムパンです。エネルギー効率のよいゼリーなどもありますが、基本的に口を動かさないと体が反応しないと考えています。きちんと固形物をとらないと、脳から消化の指令が胃に伝わりづらい。疲れるほど、そうなんです。タイにいる時は、練習中にラーメンをよく食べます。停まってラーメン食べて、走って、また停まってラーメン食べて。タイのラーメンは、どこで食べてもおいしいですよ。

レース観戦に国民性はありますか。
宮澤:イタリア、スペインは熱いです。地元の選手を応援しようという気持ちがすごく強い。ベルギーは熱狂的。フランスは運動会を観に来ている感じですね。走っていると「パパ、がんばれー」って声が聞こえてきます。ああ、どこかのチームでお父さんが走ってるんだ、頑張っているんだなというのがわかります。日本でも最近は声援を送ってくれる方が増えました。10月26日のジャパンカップは、本場ヨーロッパ並みの応援のあるレースです。

地元の人はツール・ド・フランスを、どのようにとらえているのでしょうか。
宮澤 : たとえば、京都の「大文字焼き」みたいなものでしょうか。だって、見にいきたいと思いませんか。夏のお祭りや風物詩はたくさんあるけど、やっぱり僕は大文字焼きを見に行きたい。ツール・ド・フランスも同じなんですよ。自転車レースはいっぱいあるけれど、やはりツール・ド・フランスを見に行きたいんです。ヨーロッパ全土から、あの山を駆け上がっている選手を見たいという人が集まってくるんですよね。
ツール・ド・フランスは、延べ3週間、計3500kmを走破する

やはり注目度の高いレースなんですね。
宮澤 : イタリアで行なわれる「ジロ・デ・イタリア」やスペインの「ブエルタ・ア・エスパーニャ」などは、あまりテレビで放送しないんですね。だけど、ツール・ド・フランスは世界170か国で放送します。そういう意味でも注目度が高いし、ツール・ド・フランスの格は、他のレースとは比べものにならないですね。

ツール・ド・フランスに出るとしたら、今後何をしなくてはいけないですか。
宮澤 : まず個々の能力を上げることと、チーム全体が強くなることです。今いるエースの4人の力というのは、まだ十分じゃない。それに若い選手、アシストの選手もまだ力が足りないんです。ケースによっては結果も出せるアシストの選手や、圧倒的な強さのあるエースが必要で、やはり個々の能力をもっと上げなければいけないと感じています。

マイナー競技が、メジャーになるために必要なこと

現時点での夢や希望を聞かせていただけますか。
宮澤 : やはり、東京オリンピックですね。日本ではロードレースはマイナー競技です。マイナー競技が世に出ていくためには結果を出す必要があるのと、その競技自体が面白いと思わせなければいけません。この2点をいかにクリアするか。たとえば、今ツール・ド・フランスに出たとしても、「へぇ」で終ってしまうと思うんですよ。やはり多くの人が見ている前で結果を出すこと、それにはオリンピックの、それも東京という舞台が一番だと思いますね。

ところで、チーム無線はどんな内容ですか? オンエアは難しいのでしょうか。
宮澤 : オンエアしたら面白いと思いますよ。なぜかというと、うちのチームは選手の意見をすごく尊重するんですよ。他のチームは監督が言ったことに対して、選手が「了解しました」という感じですけど、うちのチームは選手が監督に「これこれの選択肢の中で、こうしようと思うんですけどどうですか」と聞くと、監督が「そうじゃなくてこうしよう」と。で、僕らも「この先こういう可能性があるならこっちの方がいいんじゃないですか」なんて言ったりして、そういうやりとりの中で一番いい形を見つけるわけです。それを生で聞いたら面白いかもしれませんね。

最後に、ファン・読者の方にメッセージをお願いします。
宮澤 : とにかくレースを観に来てください。どんなスポーツでもそうですが、僕たちはブラウン管を通してではなく、走っている姿を生で見てほしいと思っています。ロードレースはレースを理解するのが難しいかもしれませんが、選手が走っている息づかいを感じるというか、すごく近くを走るので、それを見てもらうだけでもすごいなって思ってもらえるはずです。ぜひ現場でレースを観てほしいです。

ありがとうございました。
夢の実現を目指して、これからも頑張ってください。



インタビュー後記
毎年、シーズン最後のレースは勝つことを自らに義務づけているという宮澤選手の2008年は、北海道の勝利で幕を閉じた。後の2つのレース(ジャパンカップ、ツール・ド・おきなわ)はチームのバックアップにまわり、来年へのエネルギーを溜めるという。宮澤選手の素晴らしい2009年に期待したい。


宮澤崇史選手 プロフィール
1978年、長野県生まれ。長野工業高校卒業後の1997年、イタリアに留学し、本場のレースでスプリンターとしての技術を磨く。01年に日本鋪道レーシングチームに入る。02年、ブリヂストンアンカーに入団し、浅田顕監督(現・エキップアサダ監督)と出会う。その後、結果が出ずチームを離れるが、自費でヨーロッパを転戦して勝利を挙げ、再度浅田監督の元に戻る。以後、実力を発揮し、2008年には北京オリンピック代表に選出、ツール・ド・北海道では個人総合優勝を飾る。

主なレース戦歴
2006年 ●ツール・ド・北海道 第2ステージ優勝
●ツール・ド・おきなわ 優勝
2007年 ●ツアー・オブ・ジャパン 第1ステージ優勝
●アジア選手権優勝
●ツール・ド・おきなわ 優勝
2008年 ●ツール・ド・Taiwan 総合3位
●アジア選手権 3位
●北京オリンピック 日本代表選出
●ツール・ド・北海道 個人総合優勝

宮澤選手、エキップアサダについてもっと知りたい方は、こちらのホームページをご覧ください。
●宮澤崇史オフィシャルウェブサイト http://takashi.geo.jp/
レースレポートや最新情報、フォトアルバム、ブログなどを通じて、宮澤選手の素顔に触れることができます。
●エキップアサダオフィシャルサイト http://www.cyclisme-japon.net/
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