年輪を重ねることはそれなりに愉しい人生 Vol.23 歌手 萩原 かおり 氏年輪を重ねることはそれなりに愉しい人生 Vol.23 歌手 萩原 かおり 氏

Profile

萩原 かおりさん Kaori Hagiwara

東京都出身。東京芸術大学音楽学部声楽科卒。奄美観光大使。二期会会員(ソプラノ)。昭和音楽大学教授。三木稔作曲のミュージカルオペラ「うたよみざる」のヒロイン末子(よてこ)役でデビュー。以来、コンサート・ミュージカル等のステージを中心に幅広く活躍中。端正な容姿と天真爛漫で飾り気のないキャラクターが人気を呼び、多くのファンを魅了。自らの歌のジャンルを「C-POP(C はクラシック・クロスオーバーの意)」と名付け、クラシックで学んだ確かな技術で、音楽のジャンルの垣根を超えた様々な楽曲を、独自の世界観で表現する。また、奄美三世であり、西郷隆盛の奄美の妻「愛加那(あいかな)」という女性の遠縁にあたることを知ったことで、作詞・作曲も手がけるようになり、彼女の生涯を綴った楽曲を創作。歌と語りで構成した「歌物語 愛加那」として愛加那の郷・奄美大島の龍郷町で初披露した。その後東京、秋田、徳之島、奄美市等各地で演奏して大好評を得ている。
日本語にこだわった歌唱にも意欲的に取り組み、2013年には作詞家・松本隆訳詞によるシューベルトの歌曲集「美しき水車小屋の娘」をピアノの小原孝と共に全曲演奏。松本隆曰く「エポック・メイキングな一夜」となった。
2009年にファンクラブ「かおり倶楽部」が発足し、「かおり's カフェ」と銘打ったライブも定期的に行っている。

音楽にたずさわるようになったきっかけは、どのような経緯だったのでしょうか?

母がピアノを教えていたので、私も2歳から母の元でピアノを習い始めました。NHK教育で放映されていた『ピアノのおけいこ』という番組に出演したことで、ピアニストの安川加壽子※1先生のレッスンを受けられることとなり、番組出演終了後も安川先生にレッスンをしていただきました。

歌い手になりたいと思ったのは中学生のころ、高校に進学するときでしたね。ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』を観て、ミュージカルにあこがれ、進学(音楽学校)を機に、歌手の道を志し、今日に至ります。

幼少のころから音楽に親しまれてきたのですね。それでは、本格的に音楽活動されたのはいつごろからですか?

大学(東京芸術大学音楽学部声楽科)を卒業してすぐ、声楽家団体の二期会※2の研究所に入りました。実をいうと、わたし自身は劇団四季に入りたかったのですが、親に反対されました。ですが、劇団四季に入ることがどうしてもあきらめられなくて、翌年、親に内緒で入団テストを受け劇団四季の研究所に入りました。それからしばらくは二期会と劇団四季の両方を掛け持ちしていたのですが、劇団四季一本にしぼることにしました。

劇団四季で研さんを積み、退団した後は、ミュージカルのオーディションを受け始めました。そのころ、三木稔※3先生のミュージカルオペラ『うたよみざる』に合格し、ヒロイン末子(よてこ)役をいただきまして、キャリアをスタートさせました。

萩原さんが歌い手として一番心がけていること、大切にしていることをお聞かせください

たくさん寝ること(笑)。それは冗談として、わたしの歌を聴いてくださった方が、そこから「何か」を感じ取ってくだされば良いなと思っています。たとえ、それがわたしの考えていることと違っていてもかまいません。それは聴き手の自由ですから。とにかく、聴いてくださった方の心に触れられるような、そしてちょっとでも温かい気持ちになったり、元気になっていただけるような歌をお届け出来たらと思っています。

そういう意味では、背景としてご自身の歴史を意識された自作ミュージカル『歌物語 愛加那』も1つの方法なのでしょうか?

はい、そのとおりです。

ミュージカル『歌物語 愛加那』について詳しくお聞かせください

「歌物語」と名付けましたが、歌と語りで構成された1人ミュージカルと言っても良いかもしれませんね。わたしの両祖父(父方母方共)が奄美大島の出身で、ルーツを辿ろうと2003年に始めて奄美を訪ねてみることになった時に、母方の祖父の家系が愛加那※4の遠縁にあたるということを母から聞きました。愛加那という女性は幕末、薩摩藩の西郷隆盛が「安政の大獄」により奄美大島に潜居していたときの島妻で、『歌物語 愛加那』はそんな彼女の半生を描いた作品です。

奄美大島を訪れたとき、愛加那の歩んだ人生を知り、次第に惹かれるようになりました。奄美の方言で美しい女性という意味の「きょらむん」という言葉がありますが、その言葉と愛加那のイメージがわたしのなかで重なり、きょらむ~ん♪というフレーズ(メロディ)が自然とわいてきました。それまで作詞作曲なんてしたこともなかったのですが、そのフレーズが浮かんでからは「わたしが作らなければ!」という気持ちなり、この「歌物語 愛加那」を完成させました。

制作過程で愛加那についていろいろ調べていると、愛加那は西郷隆盛が奄美大島にいる時だけの妾で、かわいそうな女性だというようなことを書いた書物が何冊もありましたが、読んでいて少し違和感を覚えました。それって男性目線だなあと。そこで、同じ女性としてわたしなりに愛加那のことを捉え直して描いてみることで、このような作品に仕上がりました。

愛加那の故郷である奄美大島の龍郷町で初演を迎え、それからは各地で上演しています。おかげさまで、ご好評いただいております。今、地元奄美では、龍郷にいた頃の西鄕さんや愛加那の事を勉強しようという機運が高まっているらしく、「歌物語 愛加那」のCDを講座のテキストとしても使っていただけているようです。

ミュージカル以外の音楽活動をお聞かせください

定期的に、ライブ「かおり'sカフェ」を開催しています。そこではミュージカル、クラシックに限らず、ジャズやポップスなど、幅広いジャンルから選曲して歌っています。奄美大島の「島唄」を歌ったこともありますし、作曲家古賀政男氏を輩出した「明治大学マンドリン倶楽部」とのお付き合いが長いこともあり、「古賀メロディー」を歌ったりもします。あとは、毎回必ず1曲、新曲を書いてお披露目しています。実は、それがなかなか大変なのですが(笑)。お客さまと近距離で歌えることが何より楽しいですし、うれしいです。

今春から昭和音楽大学の教授に就任され、後進の育成にも力を注がれていますが、学校ではどのようなことを教えているのですか?

現在、昭和音楽大学のミュージカルコースで教えています。学生1人ひとり、個人レッスンで発声や歌唱などの指導をしています。それから、ミュージカル実習というものがあり、わたしは歌唱指導として参加し、演出や振付の先生方と一緒にお稽古を重ねて、成果発表会という形で上演したりもしています。

教える立場になってみて分かったのは、人に教えるということは自分自身もとても勉強になるということ。頭や感覚で理解していることを言葉にして相手に分かるように伝えなければならないということは、これまで自分が何となく分かっていたことを考え直す、見つめ直すよい機会になります。わたし自身の新たな発見にもつながっています。

これからの活動内容についてお聞かせください

『歌物語 愛加那』も含め、自作品をもっと多くのみなさまに聴いていただきたいですね。それから、日本語で歌うということにこだわっていきたいです。日本人のお客さまに日本語の歌を届けたい。それには美しい日本語で歌えるように、もっともっと上手くなりたいですね。

今年の10月29日には「かおり'sカフェVol.15」を恵比寿「アートカフェフレンズ」にて開催します! また11月23日には「明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会」にゲストとして出演致します。よろしければ、ぜひいらして下さいね!!