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- Vol.11 出石尚三 氏
6月に新潮新書から出た『男はなぜネクタイを結ぶのか』を面白く読ませていただきました。歴史上の人物や政治家、小説、映画の主人公などとネクタイのかかわりを語り、自然にネクタイの文化史的な読み物になっていますね。
この中に、日本人でただ一人、画家の藤田嗣治が出てきますね。
出石:パリの画壇でもフジタ(レオナール・フジタ、1886-1968)は目立ちたがり屋だったようです。前衛的な衣装でパリっ子の度肝を抜き、フジタそっくりのマネキンがシャンゼリゼのショーウインドを飾るほどの人気者になりました。ある時フジタは、カフェで出会った女性に一目ぼれします。彼女の住所を突き止めたフジタは、一晩で絹のブラウスを縫い、彼女にプレゼント。その美しいウルトラ・マリンのブラウスを贈られた女性は感激し、後にフジタと結婚するのです。
フジタは裁縫もできたのですか。
出石:若い時パリで食い詰めたフジタは、ロンドンに行って百貨店のデザイナーになったことがあります。生来、手先が器用だったらしく、デザイナーになる前に象牙細工の職人もやっています。手首に腕時計の刺青を自分で彫ったくらいですから、裁縫など朝飯前だったのでしょう。そのままロンドンにいれば、世界的なデザイナーになっていたかもしれません。
この本には、そうした面白い話や |
ところで、出石さんはなぜ服飾評論家になろうと思ったのですか。
出石:物心つくころ、すでに美しいものに心を惹かれていました。4、5歳のころ、姉たちがゆかた地を選んでいるとき、母が「尚ちゃんにも作ってあげよう」と言ったので、ぼくが選んだのが、女物の一番派手な柄だったと後々までの語り草になったものです。
家庭環境にそのような素地があったのですか。
出石:父は銀行員で、叔父たちは郵便局や国鉄、検察庁に勤めるというカタイ職業ばかり。ぼく一人毛色が変わっていたのです。だから、高校を出たら一日も早く都会へ行きたい、思いっきりおしゃれをしたいという思いでいっぱいでした。 四国の高校を卒業して半ば家出同然に大阪に出てきました。大阪でカタイ会社に就職したのですが、ファッションへの思い止みがたく、「スポーツウェア」という業界紙を読みたくて、直接購読にその雑誌の発行所を訪れました。大阪へ出てきた翌年19歳の時です。その時会った人がオーナー編集長の清水佐都子さんで、ぼくのファッションへの熱い思いを聞くと、業界のセミナーへ誘ってくれました。そのセミナーでいろいろな講師の方と知り合ったのです。その講師の中に服飾評論家の小林秀夫さんがいました。 翌年ぼくは上京し、小林秀夫さんに弟子入りしました。アシスタント兼秘書ですが、昔風に言えば住み込みの書生です。仕事は小林先生の代筆。先生は注文を受けた原稿を自分では書かず、ぼくに書かせた原稿に赤字を入れるのです。それがずいぶん勉強になりました。そんな仕事を3年続け、食える当てはなかったのですが、23歳の時に独立しました。ぼくにもぼつぼつ原稿の依頼が来るようになったからです。業界紙からマンガ雑誌まで何でも書きました。 『ダンディズムの肖像』という本を出されたのは30歳ぐらいの時ですか。
出石:そうです。作家の常盤新平氏が出版社を紹介してくれたので、出版することができました。ぼくの最初の出版物です。そのころ、友人の「レインコート・タイムス」編集長と二人で、ファッション・コンサルタント会社「風見舎」を設立、彼が社長で、ぼくが副社長。繊維業界好況の波に乗ってずいぶん儲けました。ところが、ぼくは経営者に向かなかった。会社の方針と社員の間に立ってノイローゼ気味になり、結局会社を辞めました。それから5、6年鎌倉で世捨て人のような生活を送りました。
そういえば、昔、鎌倉へ伺ったことがありましたが、そんな状態のときだったのですね。
出石:確か雑誌創刊のことでお会いしたと思います。そのころ、皆さん心配されて、いろんな人からいろんな仕事を紹介され、本当に助かりました。
ところで、今後の仕事のご予定は?
チャンドラー好きにはたまらないですね。そういうことを知っていれば小説を読む楽しみが倍加します。
出石:それから、これも秋の出版になりますが、『ブルー・ジーンズの文化史』(仮題)をNTT出版から出す予定です。これも人物に仮託してファッションを語ろうとする試みです。たとえば、マーク・トウェインとブルー・ジーンズ、ビング・クロスビーとブルー・ジーンズなど、ちょっと意外性があるでしょう?
以前出石さんは、背広を日本にはじめて紹介したのは福沢諭吉だとおっしゃっていましたが・・・。
出石:慶応3年か4年に、『西洋衣食住』という本が出ています。この中で、フロックコートを「割羽織」、背広を「丸羽織」、ネクタイを「襟〆」と訳しています。著者は片山淳之介となっていますが、これは福沢諭吉の変名です。また、明治3年の『絵入知恵の輪』という本に、セビロの絵に背広と書いてあります。著者は諭吉の弟子で古川正雄という幕臣ですが、古川は明治2年の箱館戦争に参加していた可能性があり、これも諭吉の著作ではないかと思われるのです。それで「諭吉と背広」という原稿を書いて親しい編集者に見せたところ、幕末に洋服がどのように入ってきたかを調べたほうがいいとアドバイスされました。このテーマは広くて深いことに気づかされました。ぼくは今、ライフワークを「幕末洋服史」に決め、毎日図書館通いをしています。
著名な服装評論家にインタビューとあって多少の緊張感が。しかし、お話を伺いはじめた途端にそれが杞憂であったことがわかりました。案に相違して気さくな人柄は逆にこちらが戸惑うほどで、博学な知識は驚きであり、それを語る謙虚な態度はとても柔らかく和やかでした。話の端々から伺える幅広い人脈や、世間の物事に対する大局的な見方は、今でも第一線で活躍されている証に違いないと思います。ダンディさが漂う氏のファッション感覚には、羨望のまなざしで見ながらもその距離感を感じざるを得ませんでした。 |
1944(昭和19)年、香川県生まれ。 服飾評論家、ファッション・エッセイスト、ウォッチオブザイヤー審査委員長。 1964年、デザイナー小林秀夫に入門しファッション界に入る。 以来、メンズ・ファッション一筋に活躍。 『ダンディズムの肖像』(冬樹社 1981) 『完本ブルー・ジーンズ』(新潮社 1999) 『ロレックスの秘密』(講談社 2002) 『男のお洒落 基本の服装術 』(海竜社 2004)他、著書多数。 |
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