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ぴーぷるインタビュー Vol.15 池波正太郎の“真田もの”の世界に魅せられて
「池波正太郎真田太平記館」館長 土屋郁子氏池
戦乱の世を生き抜いた真田一族に魅了され、真田氏の故郷、信州・上田の地を幾度となく訪れた直木賞作家・池波正太郎。『真田太平記』『鬼平犯科帳』に代表される池波作品は、今なお多くのファンを魅了し続けている。今回は、池波正太郎に思いを馳せて「池波正太郎 真田太平記館」を訪れた。館長の土屋郁子氏が池波文学の魅力を熱く語る。
『真田太平記』の舞台となった上田に記念館を開設

「池波正太郎真田太平記館」の開設までのいきさつをお伺いしたいのですが。


池波正太郎真田太平記館:故池波正太郎氏の功績を称え、真田氏ゆかりの地・上田市に開館。池波正太郎自筆の看板が目立つ。

土屋郁子氏(以下、敬称略)
 池波正太郎※先生は膨大な数の小説を書いていますが、なかでも信州の真田氏に関わる“真田もの”は20余編あり、大長編歴史小説『真田太平記※』はそれらの集大成といってもよい作品です。
 池波先生は真田ものをお書きになるために、真田家の故郷である上田市や松代をたびたび訪れ、小説の素材を得ていたようです。
 そんなご縁で先生とお話をされたり、親交を温めた方々から、ぜひ池波先生の記念館をというお話が持ち上がり、平成10年11月23日に故池波正太郎氏の功績を顕彰し、その作品の舞台である上田市に「池波正太郎真田太平記館」が開設されました。

台東区立中央図書館には「池波正太郎記念文庫※」があり、ここには時代小説コーナーがあります。

土屋:池波先生の出身地である台東区浅草の「池波正太郎記念文庫」には、書斎が復元され、遺品および自筆原稿・自筆画などが常設展示されています。先生の著書に加えて新しく買い求めた書籍も多いということですが、この時代小説コーナーは圧巻ですね。

池波先生は、師である長谷川伸※の蔵書をすべて読み尽くしたと聞いていますが。

池波正太郎と“真田もの”に関して、広い知識をもつ土屋館長。池波作品は読むたびに味わいが違ってくるという。
土屋:池波先生は作家・長谷川伸の門下生になりました。その時に長谷川氏のお宅の書庫にある本を全部読まれたそうです。何ごとにもこだわる方ですね。お芝居を観るときも、何度もさまざまな角度から研究しながら観られていますね。

何気なく手にした『松代町史』が、“真田もの”の原典

先生が“真田もの”を書こうとしたきっかけはなんだったのでしょう。


上田城:信州上田盆地の中央に位置し、二度にわたり徳川の大軍を撃退した「戦国の名城」。
「池波正太郎真田太平記館」から西へ徒歩10分の所にある。

土屋: 皆さんが一番疑問を持たれるのは、池波正太郎は浅草生まれなのに、なぜ真田氏関連の作品を書くのか?ということだと思います。
 先生と信州・真田家との関わりは、長谷川氏の書庫で何気なく手にした『松代町史』に始まり、先生は「そこに材を得た」と書いていますね。長谷川氏は図書貸出帳を見て、池波氏が宝暦の真田騒動を書くつもりだねと言い当てたそうです。
 1622(元和8)年に真田信之が上田から国替えを命ぜられて、松代に移ってから明治維新まで約250年。その間には、お家騒動があったり、財政が逼迫したりと、松代藩ではさまざまな事件が起こりました。先生はそれらを小説の材料にしてしまったということです。

歴史的な出来事があればあるほど面白くなるということですね。

池波文学の魅力について語る土屋館長。熱い想いが、十分に伝わってくる。
土屋:企画展「池波正太郎と信州」では、池波先生に関することがたくさんわかりました。先生は昭和30年に時代小説の取材で初めて松代にいらっしゃいました。そして、この時の取材をもとに昭和31年、33歳の時に、時代小説『恩田おんだ木工もく』(のちに『真田騒動』と改題)を発表しました。

昭和30年代には、忍者小説が流行しました。

土屋:先生も長編で7作の忍者小説を書かれています。忍者の目を通して、ひとりの戦国武将の生き様を描いています。先生は忍者を「しのびの者」「草の者」と表現しています。その存在は、人間としてできる最高の存在で、超スーパーマンであったり、情報を集める能力にも長けている人たちとして描かれています。

綿密に取材して真田家の歴史を把握し尽くしたからこそ、傑作が生まれたと言えますか。


常設展示室:「真田太平記コーナー」では、真田太平記年表、真田家関連作品年表、登場人物の紹介、取材ノートなどを展示している。

土屋: そうですね。それは当館にある先生の3冊の創作ノートを見てもわかります。最初の時代小説『恩田木工』のノートは2冊ありますが、『真田太平記』に関しては自筆の年表1冊しかありません。
 最初に書かれた『恩田木工』では、歴史や背景の調査を綿密にされています。“忍びの者小説”で戦国時代を、“真田もの”で真田氏の歴史を自分のものにした。だから『真田太平記』を書く時には、1冊の年表で済んでしまったということでしょう。真田家の故郷・信州は、池波先生にとってそんな“特別な場所”となっていったのではないでしょうか。

「上田の町をおもうことは、私の幸福なのである」と、先生は上田の印象を述べています。

土屋: 戦国時代の取材だけでなく、上田の人たちをとてもお好きだったようですね。蕎麦処「刀屋かたなや」さんのお蕎麦がお好きで、上田に来られると必ず立ち寄り、蕎麦を切る、その職人芸を愛でていたとのことです。  「池波正太郎と信州」の取材をして、池波先生の生き方がどんなにきっちりしていて、親しくなった人たちへ温かい思いやりを持っていたかがわかりました。そういう心くばりのきいた池波先生であったからこそ、信州の人々も心くばりのきいたおもてなしで、先生と接したのだと思います。


上田藩主屋形跡(現長野県立上田高校):関ヶ原の戦で上田城が破却された後、真田信之がここに藩主居館を建て藩政を行なう。JR上田駅から徒歩5分。


上田市立博物館:上田地方の中世以降の歴史・民俗資料および自然資料を収蔵・展示。上田城址公園内に建つ。

真田昌幸と信之、幸村親子の情愛と葛藤は、『真田太平記』の読みどころのひとつ。

関ヶ原合戦の“上田攻め”。真田父子が豊臣陣営と徳川陣営に分かれました。真田家の存続のために仕方がなかったのでしょうか。


真田昌幸・幸村(次男)が豊臣方、信之(長男)が徳川方につき、父子が敵味方となって戦った上田城。東虎口櫓。

土屋:先生は取材していて、真田信之をことのほか好きになったようですね。信之は昌幸よりさらに先見の明があったと評価し、最終的には信之が徳川にくみすることで真田家は存続することができたのです。

父子が別れ、真田昌幸は上田へ戻る途中、沼田城を訪れた。その時、信之の妻・小松は舅の昌幸の入城を厳然と拒みました。

土屋:昌幸が城に立ち寄る前に、父子が敵味方に別れたことを、信之が小松に知らせたことはさすがですね。

池波作品は読んでいるうちに、その魅力に惹きこまれていく感じがあります。

作品を深く読みこなしている土屋館長。さまざまな角度から池波文学の魅力を語る。
土屋:私は池波正太郎が好きというのではなく、先生の作品一つひとつが好きです。リズム感があって読みやすいのも魅力のひとつですね。漢語とひらがなのバランスがきれいな文章を形づくっていて、短い会話の中に内容が詰まっている、それが強く記憶に残るのではないかと思います。

物語の中で自然の情景を描くのが巧みで、想像力をかきたてられる楽しさもあります。

土屋:作品の中にはよく植物も登場します。多く登場するものは、「ほおの木」の花の香り。これは女性の香しさに喩えられたり、香りが重要な役割を果たすことがあります。丹念な取材から生まれるこんなことも池波文学の魅力だと思います。

先生はまるでその場面にいたかのように、非常に細やかでリアルな描写が多いです。

土屋:作品には忍者たちの「忍び小屋」がよく登場します。そうした場所を先生は地図上で見つけて、そこを実際に訪れ、その場所を忍び小屋に設定しています。取材を綿密にされているので、描く場面がリアルになるのですね。「その先に朴の木があってね」と書かれる時、先生の頭の中にそういう場面が浮かんでいるということでしょう。そういうことがわかって、さらに読書の楽しさが増えました。

書くものと自分が歩いたものと一体になっているリアル感がありますね。

土屋:池波先生は作品の中で読者サービスもしていますね。『真田太平記』という歴史的な時代を描きながら、そこに現在の風景をオーバーラップさせたりしていますが、そこにあまり違和感がありません。それがまた魅力にもなっていますね。

池波文学に対する熱い思いが、池波正太郎に携わるきっかけに。

館長になられたいきさつをお聞かせください。

地域の文学や歴史を学ぶサークル活動が池波作品に触れるスタートに。
土屋:私はふつうの主婦です。戦後長野県では、本を入手できない時代に、回し読みをする“母親文庫”の活動が始まり、時代を経て、読書をもっと学問に、という母親たちが“社会教育大学”を創設し、地域の文学や歴史を学ぶサークルが生まれました。私もここに参加することで、文学が好きになり、たまたま池波正太郎の記念館ができるということで、『真田太平記』を勉強しました。それがこの仕事のきっかけになりました。企画を担当するようになり、その後館長になりました。

「池波正太郎真田太平記館」の人気コーナーはどちらですか。


常設展示室:「池波正太郎コーナー」と「真田太平記コーナー」に分かれ、貴重な資料が展示されている。


ギャラリー:商家の蔵を改修して造られた。風間完の『真田太平記』挿絵原画17点を展示。



忍者になった気分で洞窟に入ると、『真田太平記』に登場する「草の者」の世界が、からくり絵で楽しめる。

土屋: やはり、池波先生を知ることのできる2階の常設展示室が人気です。シアターも評判がいいですね。『真田太平記』を読まれていない方のための「真田太平記の世界」や、「徳川の上田攻め」を切り絵で描いた作品も人気です。「池波正太郎のエッセイで綴る城下町」は、池波先生の言葉とともに皆さまに愛されています。からくりボックスのある「忍忍洞」は、子どもたちにも人気です。

来館者の状況はいかがですか。


ギャラリー(右)とシアター(右奥):土蔵風の白壁や上田城の石垣を模した壁が趣き深い。

土屋:年間入場者は年々増加しています。当初は年間約2万2千人でしたが、昨年は約3万人。男性も女性もほぼ同数。最近では団塊世代の方が多くなりましたが、20代~60代まで同じくらいの割合で来館されるのも文学館としては珍しいことですね。

普遍的に多くの人たちに親しまれているということですね。


交流サロン(1F):喫茶「ル・パスタン」煎れたての美味しいコーヒーを飲みながら、池波文学の世界に浸るのも心地良い。図書・グッズコーナーがあり、交流サロンだけの利用は入館無料。

土屋: 池波作品はどの年齢層の方にも対応できるのです。もうひとつ驚いたのは、20代の女性が『仕掛人・藤枝梅安』を好きだということです。この方たちは、池波先生の文章や言葉、主人公の生き方などに純粋に惹かれているんですね。活字離れと言われて久しいですが、嬉しいことです。思わず手を叩いてしまいました。

「池波正太郎真田太平記館」の今後のイベントの予定をお聞かせください。

館長として企画展や執筆に活躍する土屋郁子氏。
土屋:来年は開館10周年なので、大きな企画を予定しています。昨年は「池波正太郎と信州」などを開催。展示できなかったものがたくさんあります。今年は、池波正太郎「蝶の戦記」展(2007.4.6~9.2)を開催、9月からは「『真田太平記』のまち写真展」(2007.9.15~10.28)、11月には「おれの足音」をテーマに、東京の池波正太郎記念文庫と共同で、「中一弥画のさし絵原画展」を開催する予定です。
 また、池波先生と親交の深かった著名人をお招きしてのサロン・トークや、コンサートなども開催しております。多くの皆さまのご来館をお待ちしております。

池波文学の魅力や『真田太平記』にまつわる貴重なお話しをありがとうございました。


池波正太郎真田太平記館

 館は、この地方に幕末から昭和初期にかけて盛んになった養蚕・蚕種をした蚕室造り。中庭にある2棟の蔵も展示館となっている。本館2階の常設展示室には、池波正太郎の作品や遺愛品、自筆画を紹介する「池波正太郎コーナー」と『真田太平記』の初版本や関連作品、創作ノート、映像で紹介する「真田太平記コーナー」がある。館内には交流サロンもあり、充実したスペースとなっている。


住所
〒386-0012 長野県上田市中央3-7-3(JR上田駅から徒歩12分)
TEL
0268-28-7100
開館時間
10:00~18:00(入館は17:30まで)
休館日
毎週水曜日(水曜日が祝日の場合は開館)・祝日の翌日
(※8~10月は無休)・年末年始
入館料
一般 300円/高・大学生 200円/小・中学生 100円
URL


土屋郁子(つちやいくこ)氏プロフィール
長野県茅野市生まれ。上田市の「社会教育大学」創設を機に、池波作品に傾倒する。平成9年に「池波正太郎真田太平記館」の設立準備に関わり、平成12年4月~平成13年12月館長に就任、平成19年に再就任し現在に至る。館の企画展以外に「池波正太郎真田太平記館in大阪城天守閣」展(平成19年7月28日~9月2日開催)に携わる。著書に『和田村と文学』(和田村教育委員会)、共著に『池波正太郎が残したかった「風景」』(新潮社)、『上田市誌―上田の風土と文学』(上田市誌編纂委員会)、『千曲川ものがたり』(郷土出版社)など。



インタビュー後記

 池波正太郎と言えば、『鬼平犯科帳』『剣客商売』をはじめ多くの時代小説の大御所としてあまねく知られている。なかでもNHK水曜時代劇『真田太平記』の波乱万丈の展開は、視聴者は画面に吸い寄せられたように手に汗握って見ていた人も多かったはずである。
 今回、その『真田太平記』をテーマにした「池波正太郎真田太平記館」を訪ねた。作者の池波正太郎の資料を集め、それだけでなく映像コーナーや忍者を紹介する人形劇など工夫が施された会場は興味深く、また楽しい記念館でもある。その「池波正太郎真田太平記館」においてのインタビューであった。館長である土屋郁子氏はやわらかな物腰と語り口で記念館の姿を幅広く語っていただいた。話の節々に館を運営する責任感と自負、そして日本人の代表的作家に対する尊敬と憧憬の入り混じった思いを語っていただいた。
 インタビューを終えても、土屋館長と池波作品についてお話を伺い、仕事だということを忘れそうになるほどの喜悦の時間を過ごせたことはありがたいことであった。また、併設されているティールーム「ル・パスタン」の特製ケーキと香り豊かなコーヒーの味は特別なものがあり、もし池波先生がご存命中ここでひととき休まれたならば、なんと著作に書かれたのだろうか。今もって池波正太郎の早すぎる生涯を残念に思い至った。(吉江記)